ピンクリボン運動

あなたのお買い物が、学びたい子供を助けます

パルファンは、NPO法人J.POSH(日本乳がんピンクリボン運動)の奨学金「まなび」に、1回のお会計あたり1円を寄付します。

ピンクリボン

ピンクリボン運動って?

乳がんのことを
知ってもらうための運動です

ピンクのリボンは
乳がんへの理解と支援のシンボルです

今の日本で、乳がんにかかる女性は、20人に1人。その多くが早期に発見・治療すれば治るそう。けれど、検診を受ける人が少ないために、年間1万人もの女性が亡くなっています。
NPO法人J.POSHは、乳がんのことを知ってもらうための活動や、検診費用の補助、看護士の育成、乳がん患者への支援などを行っている団体です。
パルファンはこの中でも、乳がんに罹患した方とその子供のための奨学基金「まなび」に、寄付を行います。

J.POSHに寄せられた手紙

大阪府 大学生より

この度はとても温かなご寄付で私を支えて下さり心から感謝いたします。おかげさまで無事に高校を卒業し、医療系の大学に進学することができました。私は3姉妹の末っ子で、姉2人は母の病気がきっかけで正看護師として日々頑張っています。私もそんな姉2人の姿を見て医療系の道へ進みたいと強く思うようになりました。母もそうでしたが辛い手術の後に待ち受けているリハビリ。心の傷と身体の傷を癒していただきながら日常生活ができるようにサポートさせて頂きたい。2人の姉もそのサポートの役割の大切さをよく語っています。進路を決めるにあたり奨学金のおかげで前に進むことができました。この御恩は一生忘れません。今度は少しでも多くの方の前進につながる役割が果たせる人になりたいです。また、新型コロナ禍中、気が滅入る折にも更なるご支援を頂き精神的にも大変救われました。母の大病をきっかけに多くの方からご支援を頂けるありがたさを知ることができました。私もつらい思いをしている人の力になれる人間になりたい。心の底からそう思えるようになりました。そのために先ずはこれから先精一杯努力し、頑張り、必ず温かい作業療法士になります。常に感謝の心を忘れず前向きに生きていれば叶うと信じています。この度のご支援のおかげで私のこれからの生き方が大きく変わったと言っても過言ではありません。ご支援頂きました皆様の心からお礼申し上げます。 

熊本県 大学生より

高校3年生の一年間、新型コロナウイルスの影響で、高校最後の総体や体育祭、文化祭と様々の行事が中止になり、どれも残念な気持ちでいっぱいです。進路を考える上で、家庭の事を考えると就職の一択しかありませんでしたが、将来の夢である指導者、トレーナーについて学びたくて、大学を志望し、受験し、進学できるのも奨学金があったからだと思います。将来の夢である指導者、トレーナーについてしっかり学び、勉強に励んでいきたいと思っています。 

兵庫県 大学生より

高校生活で最も記憶に残っているのが、休み時間です。1,2年生のうちは、友人達と楽しい会話をする貴重な時間でしたが、3年生に進級してからは、その時間も勉強に充てるようになりました。塾に通っていなかった私は、周囲より頑張らなければ、全国の学生に受験で太刀打ちできないのではないかと、毎日不安と焦りでいっぱいだったことを覚えています。とにかく、自分のことで精一杯で、友人達に冷たい態度をとってしまったこともありました。コロナウイルスの影響で、学校へも満足に通えず、本当に苦しい一年間でした。しかし、大学に無事合格した今、苦しい高校3年生の時間を過ごしたことで「自分一人の力でここまでやれるんだ」という自信がついたように思います。苦境に立ってこそ、得られるものもあるのだと実感しています。高校三年間で自分を支えてくれたすべての人への感謝の思いを胸に抱き、新たなステージで学びを深めていきたいと思います。最後になりましたが、様々の不安と闘いながら過ごした3年間で金銭的な不安を取り除いて下さった皆様には、感謝してもしきれません。姿は見えずとも、ずっとずっと支えられていたように感じます。本当にありがとうございます。 

富山県 大学生より

一年間の奨学金による支援ありがとうございました。この奨学金があったからこそ私は学校に通えました。私が通っていた高校はバイトができなくて、学費も生活に必要なものを買うお金も親に負担してもらうことになり、自分ではなにもできないことがとても、もどかしく思っていました。そんな中、学校で「J.POSH奨学金まなび」の事を聞いて1年間支給いただくことになり本当に感謝しかないです。このような温かい支援をしていただいたことを、いつまでも忘れず、しっかり学び社会人になれるよう務めていきたいと思っています。本当にありがとうございました。 

福島県 大学生より

高校生活最後の年はコロナの影響で、ほとんどの行事が無くなってしまいましたが、公開文化祭を1年生の時に経験することができ、良かったです。私は実行委員になり、慣れないことも多く不安ではありますが、無事に成功させることができました。2年生になってからは美術部員として作品制作に努めました。満足に行った事や、あまり自分の思うようにいかないことがありましたが、最後に制作した作品が昇降口に飾られて嬉しかったです。これからの進路について私は、理学療法士として働こうと考えています。私が2年生の時に母が入院し、手術することになってしまいました。その後リハビリに励んだ際、理学療法士さんの方のお話を聞かせていただいたことや、過去に体を痛めた時に興味が湧き、この進路に決めました。私は、実際に同じような体験をした人たちのために行動し、社会で活躍できる人になりたいです。また、身の回りの方々への感謝を忘れず努力を積み重ねていきたいと考えています。 

山形県 高校3年生より

コロナ禍で多くの学校行事の制限が余儀なくされたこの1年でしたが、私はこの春、無事に高校を卒業し、第一志望の大学に合格することが出来ました。高校生活は研究活動や研修旅行など自分の興味のある分野にとことん追求した学習ができ、多くの先生や友人に支えられ、充実した時間を送ることが出来ました。私が専ら興味を持ったのは教育の分野です。私の母が乳がんで闘病し始めた当時、小学生の私は母がどうなってしまうのか不安で仕方がありませんでした。私は、母親という大切な存在を失いかけた経験の辛さを活かして、将来同じような辛さを抱えた子どもに出会ったときにきちんと理解してあげられる存在になりたいです。県外の大学に進学するにあたり、地元や親元を離れて生活することにはなりますが、ここまで育ててくれた母や貴法人の方々への感謝の気持ちを忘れず、自分の夢に向かって進んでいきたいと思います。 

寄付金合計額

12,522,945円 ( 2024年10月現在 )
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